うさぎのあの子(五期・西内明日香)

 ×の形の口をしたうさぎの子。それがミッフィーだった。 

 

 ミッフィー展へ行った。会場限定のグッズが沢山あるらしい。会場は子連れも多く、つい静かに観たいのにという気持ちがよぎり、慌てて目を逸らす。そうして見て回るうち、あるパネルを前に思わず足が止まった。 

 

 「ミッフィーの口は×の形。まだ多くは話せない、小さな子供の口。」 ハッとした。

 小さい頃の私はどこでも構わず喋り続けていた。言葉をまだ多くは知らなくても、話したいことが沢山あった。「お口はミッフィー、ね」母は口の前で×を作りながらよく言った。そのうちに、私の中で勝手に彼女を「話さない」存在に変えていたのだ。短い言葉で拙いながらも話す、お喋りが好きなうさぎの子。それがミッフィーだったのに。 

 

 お土産のグッズは何も買わなかった。もらった一枚のポストカードを持って帰る。紙の中からじっとこちらを見つめる彼女。今度は真っ直ぐに見つめ返し、壁に刺した。

手土産をもっていこう(五期・田中飛路)

 その年に買ったお土産は確か太宰治生誕100年を記念した「生まれて墨ませんべい」だった。なんだかしょっぱい味がした。

 

 2012年夏、曾祖母が亡くなった。寿命だ。両親が青森の出身のため、夏はいつも青森に帰省していた。開通したばかりの新幹線で千葉に帰る前日のことだ。

 

 曾祖母のことはよく覚えていない。寡黙でいつもにこにこしていた。あまり話したこともない。「ただいま」「またね」ぐらいだった。いつも何を思っていたのだろうか。私に何かできたことはなかったのか。葬式の間、下ばかり見ていた。

 

 90年以上生きた曾祖母。長く決して平たんではない人生の旅を終えた人は何を冥土の土産にしたのだろう。曾祖母に再び会えるのは何年後になるだろうか。できれば次に会うのはもっと先がいい。たくさんのお土産を持って、胸を張っていきたいものだ。

 

 「さらば旅人よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」

新青森駅で食べたラーメンの鉢に書かれていた。しょっぱい味がした。

 

りみっと(五期・田代安奈)

 胸元に大きな存在感を放つAUSTRALIAの文字。白地にゴシック体。それと小さな国旗のデザイン。私が私のために買ったお土産のTシャツだ。

 

 15歳の冬にオーストラリアへ向かった。12カ月間の留学の為だった。小学生の頃からの夢。出国の日を楽しみに色んなことを我慢した。日本の空港で家族と別れてから10時間、私はアデレードの空港で新しい家族に迎えられた。

 

 砂時計の天地が180度変わったようだった。夢見ていた新しい生活が目の前にある。しかし嬉しさよりも切ない心地が勝っていた。今日寝たら明日が来る。帰国日が近づいてくる。その事実がこわかったのだろう。私は毎日の出来事をより鮮明に記憶するためにお土産を買い込んだ。モノに記憶を結びつけて持ち帰ろう。自分が確かにこの地で生活した日々を忘れたくないと思ったのだ。

 

 帰国から5年。日毎にぼやけていく記憶。しかし私は単純だ。あのTシャツを着るたびに留学の日々を思い起こすことができている。

土産話(五期・阿部桃子)

 家までの帰り道、心地よい風を感じた。昼間の強い日差しで熱くなった体が、ゆっくりと冷めていく。自分の中にそっとこの感覚を閉じ込める。

 

 幼いころ、私は土産話を頻繁に家に持ち帰った。小学校の友達と遊んだこと、雨上がりの空が綺麗だったこと。家族に喜んでもらえるのが嬉しかったのか、何でも家に持ち帰り、話をしていた。

 

 しかし年齢を重ねるにつれ、私は土産話をしなくなった。わざわざ話すことでもない、そう考えたのだろう。土産話として人に話すかどうかの基準はどんどん高くなり、日々の考えや感覚を抑え込んでいった。

 

 人に話してこその土産話だと考えていたが、自分の外に出すことだけが土産話ではないのかもしれない。遠くに行かなくても、人のためでなくても、自分だけの感覚として持ち帰ることもできる。抑え込むのではなく、溜める。

 

 夏の終わりの風を体いっぱいに吸い込む。自分だけの・自分への土産として、日々気づく感覚を私の中に溜めていく。

いいですかみなさん(五期・小野さくら)

 おうちに帰るまでが遠足です、とよく言われたものだ。

 

 小学校の長期休み明けは机の上にお菓子が並ぶ。なぜかみんな旅行へ行くと必ず大箱入りの小袋菓子を買ってきてクラス全員に配った。全国様々なお菓子が集まる中、毎回必ず含まれていたのがディズニーの缶にはいったチョコクランチだった。どうせみんな行くのに、と思っていた。または、こんなのコンビニで買えるのに、と。でもなぜか私もみんなと同様にそれを毎度買って帰った。

 

 高校生の時、修学旅行で北海道に行った。私は違う学校に通う友人に「白い恋人」を買って帰った。数日後それを渡すとき私は彼女に想い出を話した。「今度は一緒にいこうね」と言いながら、目の前に当時の情景を広げていた。

 

 おそらくチョコクランチもクッキーサンドも旅を思い出すためのトリガーだったのだ。そこにいたのはたった数日かもしれないが私の旅はまだ続いていたらしい。

ならばこう言わなければならない。

 

 お土産を渡すまでが遠足ですよ!

花が見たい(五期・松本風見)

 ごめんなさい、と心の中で呟く。謝った先にあるのは、ゴミ箱に放ったカビが生えた土。土の中には、芽が出なかった富良野のラベンダーが眠っている。

 

 私は旅行をすると、よく植物の種を買う。しかし、毎回決まって腐らせてしまう。普段、植物など育てもしないのに、なぜか買ってしまうのだ。

 

 旅行の目的地だったラベンダー畑は、今でも鮮明に思い出せる。ラベンダーは皆同じ高さなのか、切り揃えられたように、一面に敷き詰められていた。それは、風が吹けば波打つ川面のように、青紫色の花が揺れていた。

 

 目に映った感動を、自分の物にしたいと思い、種を手に取った。しかし、私は、毎朝水をやるとか、芽が出たら鉢に植え替えるとか、実際に育てることを考えていたわけではなかったのだろう。

 

 富良野からはるばる来たにも関わらず、私の家で捨てられた種を見ると、罪悪感と、ひどい気まずさを覚えずにはいられない。私は、持ち帰りたかっただけだったのだ。

帰り道も遠回りしたくなる(四期・小林海斗)

 帰り道は遠回りしたくなる。あるアイドルが歌う、そのフレーズを聞いたとき、本当か?と疑った。

 私は帰り道こそ、遠回りなどせず最短距離で家に直行したい。出先で積み重なった疲労をリセットして、はやく寝床に入りたい。いや、そもそも帰り道でなくとも遠回りはしたくない。あえて苦労するなんて、理解ができない。遠回りは遠回りだ。

 しかし、そうでもないらしい。世の中には遠回りに価値を見出す人がいる。遠回りしないと手に入らないアイテムや、見ることのできない金星があるという。楽な近道をして辿り着く場所は、いつもと同じ場所。苦しい道のりで得たモノが、遠回りを「遠回り」にするみたいだ。

 あのアイドルはきっと「遠回り」をしたのだろう。私はまだ「遠回り」ができていない。だが、帰り道に限らず遠回りしたくなるとき、見えていなかった景色が初めて観えるのかもしれない

明けの明星(五期・田中飛路)

 「どっかいこう」

バイトを終え帰ろうとしていた時、友人からLineが来た。私は家まで遠回りした。

 

 突然の連絡に戸惑いもしたが、私は乗り気だった。このまま直接家に帰りたくなかった。家にいると、就活や将来のことを考えてしまう。そんな時間から少し逃げるように母親に一言、海を見てくるとLineをした。

 

 深夜の首都高を抜け、他愛のない話をしながら伊豆高原城ヶ崎に向かった。真っ暗な海岸には誰もいない。ただ一人灯台が明かりを灯していた。そこには断崖絶壁で立ち入り不可能なところがあった。後から知ったのだがここは自殺の名所らしい。

 

 将来への不安か、人間関係か。何かに追い詰められ、人は死を選んだのだろう。生きることに対して少し真面目すぎたのではないだろうか。所詮人生なんてあの世までの遠回りだ。どうせ遠回りするならゆっくりしていこう。まだ楽しいことがあるかもしれない。

 

 家に着いたのは暁の頃。明けの明星が東に見えた。

 

 

 

「∞」通り (四期・大木理沙)



 点Aと点Bを直線で結ぶ。最短距離は1通りしかない。

 

 本格的に就職活動を始める前、まさに私のキャリアプランは一直線だった。なりたい職業やなりたい人物像を点Bとして、自己分析や面接練習を進めていった。

 

 就職活動が始まり、私は点Bまで直線を引こうとした。しかし、なかなか面接が通らない。その時、今まで考えてきた直線は可能性を狭めているのかもしれないと思った。

 

 私は点Bの位置を変えず、あえて遠回りをした。違う業界を見たのだ。しなやかな線は、無限大を表す「」の曲線を連想させた。曲線を用い、点Aと点Bを結べば、どんなに遠回りでも繋ぐことができる。

 

 就職先を当初とは違う業界に決めた今、点Bとはかけ離れた場所にいるかもしれない。しかし、私自身のいる場所を俯瞰し、点Bを見つけることができれば、あとは進んでいくだけだ。

 

 点Aと点Bを曲線で結ぶ。その線は何通りあるだろうか。

 

暗闇を進む (四期・越村悠梨)

 駅からホストファミリー宅まで、真っ直ぐ向かうはずの通学路を右に曲がった。


 期待と不安を胸に、大学3年次の夏に初めてアメリカに渡った。それは4週間の短期留学を経験するためだ。ガイドブックを片手に旅程を立てた日々と裏腹に、出発直前には空港の保安検査場でひとり涙を流した。入り混じった感情は言葉に表せなかった。

 

 約3週間経った日のことだった。短い留学生活の終わりを迎え、いつもの帰り道は工事現場へ姿を変えていた。日が暮れたせいか、見知らぬ道は初日の気持ちを思い出させた。


 帰る場所という安心はありながら、人影の少ない現実に押しつぶされる不安に駆られていた。坂を上り下り、蛇行した道を急ぐと、ようやくホストファミリーの家が現れた。自分が歩いた道は間違いなかったのだ。


 先の見えない状況で、歩き続ける人生だった気がする。そして、卒業後の進路も決められずにいる中で、向き合い続ける力を手にしていたのかもしれない。道のりは長く、時間がかかっても、ある一点の光を見るその時まで。一歩ずつ、私は今日も進む。

アナログ時代が輝いて見える(五期・村田智哉)

アナログ時代を生きてきた人の誰がこんな時代を想像しただろうか。


 アナログ時代は不便だった。どこかへ行くにしても、使われていたのは紙のロードマップ。思いどおりに行けず、時には遠回りすることもあった。しかし、その寄り道がまた楽しかった。


 一方で、現在のデジタル時代ではスマホが活躍してくれる。画面を開き、検索ソフトで目的地を入力する。そこまでの距離と道のりが表示され、最短ルートを示してくれる。検索結果に従い、予定通りに目的地を目指す。

 

 予定通りであれば、想定外のこともないだろう。遠回りすることもなく、「あっ!」と驚くような突然の出会いもあるまい。


 かの航海者コロンブスはスペインからアジアを目指す際、遠回りをしたことで、偶然にもアメリカ大陸を発見したという。その影響で貿易が地球規模に拡大し、世界の一体化が促進された。


 スマホから目を離し、遠回りをすることで、新たな発見を期待する。そこには思いがけない偶然の出会いが待っているかもしれない。

夢に夢見る (四期•野見山彩美)

 また同じ夢を見た。


 その夢は、私が暗い夜道を彷徨っている所から始まる。少し行くと、二本道が目に入る。左側は出口まで最短で行ける道で、右側は遠回りの道だ。私はいつも左側を選んで一歩踏み出す。そこで突然夢が終わってしまう。

 

 考えてみると、現実の私はいつも「遠回り」を選んでいた。高校では大嫌いな運動を部活にし、大学では吐血するほど厳しいゼミにも入った。楽に進むことのできる近道を選ぶのは、負けだと思っていた。

 

 現在はそんな自分の選択を後悔している。ゼミの課題に就職活動、アルバイトもこなす毎日に嫌気がさしてきた。楽をしたいという私の欲が夢の中に現れているようだ。

 

 しかし、「遠回り」は今のためにあるのではない。その過程で抱えてきた心の痛みや葛藤が糧となり、次の選択につながるからだ。遠く険しい道も、将来の近道になるかもしれない。そう考えたら少しだけ楽になれた。

 

 また二本道だ。私は今、「遠回り」を選んでみる。