この大学では、門から長い路を歩む。
入口は広いが、
先へ進むほど狭くなり、
遠近法が強調された路の出口は、
実際より遠く感じる。
でも大学を出るときには
視点が転換し、
外の世界がひろく観えてくる。
獨協大学の路だ。
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×の形の口をしたうさぎの子。それがミッフィーだった。
ミッフィー展へ行った。会場限定のグッズが沢山あるらしい。会場は子連れも多く、つい静かに観たいのにという気持ちがよぎり、慌てて目を逸らす。そうして見て回るうち、あるパネルを前に思わず足が止まった。
「ミッフィーの口は×の形。まだ多くは話せない、小さな子供の口。」 ハッとした。
小さい頃の私はどこでも構わず喋り続けていた。言葉をまだ多くは知らなくても、話したいことが沢山あった。「お口はミッフィー、ね」母は口の前で×を作りながらよく言った。そのうちに、私の中で勝手に彼女を「話さない」存在に変えていたのだ。短い言葉で拙いながらも話す、お喋りが好きなうさぎの子。それがミッフィーだったのに。
お土産のグッズは何も買わなかった。もらった一枚のポストカードを持って帰る。紙の中からじっとこちらを見つめる彼女。今度は真っ直ぐに見つめ返し、壁に刺した。
その年に買ったお土産は確か太宰治生誕100年を記念した「生まれて墨ませんべい」だった。なんだかしょっぱい味がした。
2012年夏、曾祖母が亡くなった。寿命だ。両親が青森の出身のため、夏はいつも青森に帰省していた。開通したばかりの新幹線で千葉に帰る前日のことだ。
曾祖母のことはよく覚えていない。寡黙でいつもにこにこしていた。あまり話したこともない。「ただいま」「またね」ぐらいだった。いつも何を思っていたのだろうか。私に何かできたことはなかったのか。葬式の間、下ばかり見ていた。
90年以上生きた曾祖母。長く決して平たんではない人生の旅を終えた人は何を冥土の土産にしたのだろう。曾祖母に再び会えるのは何年後になるだろうか。できれば次に会うのはもっと先がいい。たくさんのお土産を持って、胸を張っていきたいものだ。
「さらば旅人よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」
新青森駅で食べたラーメンの鉢に書かれていた。しょっぱい味がした。
胸元に大きな存在感を放つAUSTRALIAの文字。白地にゴシック体。それと小さな国旗のデザイン。私が私のために買ったお土産のTシャツだ。
15歳の冬にオーストラリアへ向かった。12カ月間の留学の為だった。小学生の頃からの夢。出国の日を楽しみに色んなことを我慢した。日本の空港で家族と別れてから10時間、私はアデレードの空港で新しい家族に迎えられた。
砂時計の天地が180度変わったようだった。夢見ていた新しい生活が目の前にある。しかし嬉しさよりも切ない心地が勝っていた。今日寝たら明日が来る。帰国日が近づいてくる。その事実がこわかったのだろう。私は毎日の出来事をより鮮明に記憶するためにお土産を買い込んだ。モノに記憶を結びつけて持ち帰ろう。自分が確かにこの地で生活した日々を忘れたくないと思ったのだ。
帰国から5年。日毎にぼやけていく記憶。しかし私は単純だ。あのTシャツを着るたびに留学の日々を思い起こすことができている。
留学の最後の思い出作りとして、南方にある釜山を訪れた。年間200万人以上の観光客が訪れ、ソウルに次ぐ大都市として有名だ。バスに乗りながら、窓から見える夜景に期待値が高まった。
バスを降りると、波の音が聞こえると同時に、潮のにおいを感じた。デートをするカップルに、夜景を見ながらお酒を飲む人々。この海辺だけ、時間がゆっくり進むようだった。韓国特有の、何でも急いでやろうとするせっかちな文化も、ここでは通用しない。
朝次の日の朝、同じ場所に向かうと、同じ景色のはずが全く違って見えた。砂浜で思い切りジャンプをする2人組。花束を持ち、海の方を向いて目を閉じる女性。誰も海を感じていない。彼女らには、波の音よりもシャッターの音の方が重要なのだろう。
「残るのは写真だけ」という謳い文句がある通り、写真に残る思い出も重要だ。写真を見返すと当時の思い出も鮮明によみがえる。しかし、より多くのいいねを貰う事を目的とした写真では、においも、音も、思い出せないのではないか。
写真を撮ろうとした携帯電話をポケットにしまった。できる限り多くの情報を、私だけの思い出として残すために。
あったかい。久しぶりに故郷、岩手と同じようなぬくもりを感じた。
人と人との距離が近く、近所の人には必ず挨拶をする。下校途中に世間話をしてくるおばちゃんがいるような、小さい田舎町ならではの環境で育ってきた。大学進学と同時に上京し一人暮らしを始めると、人の冷たさを感じ、どこか寂しかった。しかし不思議なことに、その寂しさを異国の地では全く感じない。
韓国には、2月の初めに旧正月という祭日がある。日本の正月と似ており、親戚同士で集まり、その年の無病息災を祈って新年の挨拶を交わす。韓国の祭日を1度は経験してみたいと思っていたところ、友人の好意で旧正月に実家に行かせてもらい、一緒に過ごすことが出来た。
一緒に料理をし、食事をして、談笑する。雰囲気は日本の正月と変わらないが、日本よりも「家族感」が強い。核家族の増加、早い段階で一人暮らしを始める人が多いなど、日本では家族についての考え方が多様であり、最近は家族よりも個人を尊重する傾向もある。一方韓国では、家族をより大切に考える傾向がある。連絡を頻繁にし、旧正月のような祭日には必ず集まる。私が感じたぬくもりは、友人の家族に触れて感じたものだった。
この「家族感」を感じたのは旧正月だけではない。日常生活においても多々感じられた。近くのスーパーのおばさんも、語学堂の食堂のおじさんも、気さくに話しかけてくれる。近くに住んでいる人ならば皆家族であるかのような安心感があった。幼い頃に感じていた温かみを思い出したのだ。
日本でも同じような「家族感」を感じられる日は来るだろうか。さむい街には帰りたくなくなった。