団体旅行客だ。またちゃんと列に並んでいない。なぜこの人たちは常識を知らないのだ、とイライラが募る。非常識だ。
旅先でレジに並んでいた。いつまで経っても順番がこない。周りを見渡してみると、自分が抜かされていることに気が付く。文句を言ってやりたいが、言葉が通じない。これでは永遠に会計を終えられないと、仕方なく見よう見まねでぐいぐいとレジに進んでみる。会計できた。誰も文句を言ってこない。それどころか、嫌な目を向けてくる人さえいなかった。そうか、これがこの地の「常識」なのだ、とやっと理解した。
自分が知っている世界で生きるのはとても便利だ。知らないことなんてないに等しいし、自分の中の常識は当たり前に通用する。困ることもなければ、イライラすることもない。しかし、ひとたびそのコミュニティーをでると、たちまちその常識は通用しなくなってしまうのだ。イライラや困惑が募るが、同時に自分の知る世界での「非常識」が「常識」だったのだと、まるで謎解きが成功したかのようにスッキリする。
「非常識」が「常識」になるということは、その逆もまた然りだろう。じつは世の中に常識なんてないのかもしれない、なんて考えてしまう。常識というものの存在の有無は難しいが、謎解き成功のスッキリ感は確かである。つい癖になってしまうこの爽快感を求めに、冒険するのも悪くない。