ラスタにインタビューを試みる。「Yow, Mr.chin!(おい、中国人!)」と声を掛けてきたのは、片足の無いお爺さん。Davidと名乗った彼はすぐさま、俺の名は"Ivid"だと言い直した。ラスタの世界では"I"と"Jah"は彼らの信条を表す重要な言葉だ。"I"を多用することで自分も相手も同じ人間、一緒の世界にいるんだということを示す。You and meと言う時でさえ、"I and I"になるのだ。そして"Jah"は神ヤハウェのことを指す。日本人であることを彼に伝えると、「Japanから来たのか!Jah-panだな、Jah-pan!」と大声で笑い出した。ダジャレかよ、と内心思いつつ、つられてゲラゲラ笑ってしまった。
ときに「カルト教」扱いされるラスタファーライ。旧約聖書を黒人と結びつけ、西洋世界を否定し、違法薬物を使用する。この行為を考えれば当然なのかもしれない。しかし実際に足を踏み入れると、そうした見方が彼らの一面しか捉えていないことに気づく。中でも印象的だったのは、儀式を見つめる子供の様子だった。
ラスタでない僕でさえ、異様な雰囲気で神懸かったように感じた儀式。それを幼いころから見て育っていたら、自分ならどうなっていただろうか。「世代間で受け継がれる」「親から子へ伝わる」なんて話を簡単に受け入れていたけれど、その言葉の意味は重い。生まれた環境が違うだけで、彼らと同じだったのかもしれない。
帰りのバスのガラス越しから、集落を走りまわる子供たちの姿が見えた。昨晩の出来事が嘘だったかのように楽しそうに遊んでいる。彼らにとって遊びと儀式を両立することは普通のことなのだ。子供のラスタは、ラスタの世界の中で「子供らしく」過ごしている。「カルト」と簡単に切り捨てるのは、自分たちの価値観を押し付けているだけなのかもしれない。今回ナイヤビンギに足を運んだことで、彼らの思想や信条を生きた文脈の中から捉えることができた。本当に貴重な経験になったと思う。 【大野友暉】