トイレ事情

 人は皆、忘れられない初めての思い出というものをいくつか持っているだろう。

 初めての自転車。初めての学校、友達。初めてのペット。そして初めてのキス。僕にとっての忘れられない初体験は、初めての温水洗浄便座、いわゆるウォシュレットだ。

 忘れもしない2年前のあの日。大型ショッピングセンター内にあるハンバーガー屋で働いていた僕はいつものようにバイト後にモール内をブラブラしていた。何をするでもなく歩き回り、胸の底から湧き上がってくる物欲を喉元当たりの弁で制御するのが日々の日課であり、快感でもあった。

 するとどうしたことか。急に便意を催してしまった。上半身に意識を向けすぎた余り下の門を閉めるのを忘れていたらしい。事態は急を要する。自然の摂理、そして重力という、いくら技術が発達しても到底人類には敵わないパワーを兼ね備えた便に、一体どうやって抗うというのか。大海原を漂うペットボトルの様にモール内をさまよっていた僕は、ようやくトイレという目的地を半ば強制的に手にしたのだった。

 よっぽど疲れていたのだろう。無事に用を済ませたというのになかなか立ち上がることができない。ふと右を見てみると、そこにはたくさんのボタンがあった。なんとこのトイレからは水だけでなく音も出るという。さすがは老若男女が集う千葉県民の憩いの場だ。トイレは綺麗なだけでなく、最新の設備まで備えているらしい。初めてトイレの横にあるボタンたちに興味がわいた。「一体どんな感じなのだろう。一回、一回だけやってみよう」と、心の悪魔がささやく。どうやら物欲には勝てても、好奇心の間欠泉を抑えることはできないらしい。恐る恐るボタンを押す右手の人差し指は少し震えていた。

 その日から僕は不幸になってしまった。なぜか?ウォシュレットを知ってしまったからだ。今までは洋式トイレがあることに感謝し、それ以上のものは期待していなかった。しかし今はどうか。ただの洋式トイレでは満足できず、ウォシュレット付きのものを切望する。人類の尽きることのない欲望への執着を実感する。もしかすると、ミニマリストの部屋のトイレはボットン式なのかもしれない。

 そして、お察しの通りカナダのトイレはウォシュレットがついていない。清潔なトイレも少ない。便座も冷たい。いくつかの飲食店などでは鍵を貸してもらわないとトイレにすら入れない。

 そう只今絶賛トイレシックに陥っている。              【染谷祐希】

(1枚目)図書館のトイレの壁にかかっていた大量の注射ボックス。最初はドラッグかと思ったが、箱にはBiohazzardの文字。何だろうこれは。(2枚目)よく飲みに行くパブに貼ってあるポスター。言うは易く行うは難しと言いたいところだが、先日1カ月ぶりに訪れたところ、男女に分かれていたトイレがいつの間にか全ての人が使えるようになっていた。だがトイレの前で一瞬迷った挙句、"元男子トイレ"を使用した。