バス社会

 グアダラハラでの生活は、バスなしには考えられない。自転車に乗っている人は驚くほど少なく、ほんの少しの移動にも長距離の移動にも、バスが使われている。運賃は一律7ペソ(約42円)で、学生は半額で利用できる。グアダラハラ一帯を、毎日たくさんのバスが行き交う。

 ルートは番号によって変わる。正確にはわからないが、その数は200を越えるようだ。78、275-Bもあれば、635、636、637と連続するものもありややこしい。自分の乗りたい番号のバスが来たら人差し指を立て右手を挙げる。バス停がないところでも止まってくれる一方、無視されることもしばしばある。また、とにかく揺れが激しいバスに私はまだ慣れず、ひとり大きくバランスを崩してしまう。何事もないように直立しているメキシコの人たちに、長年の慣れを感じる。

 バスに乗ったら、運転手を見るのが楽しみの一つだ。たくさんのバスが走っているためいろいろな運転手がいる。ジュースを飲んでいたりスマホで動画を見ていたり、乗客と話していたりする。ある時、乗る人もいないのに途中で止まって、お釣り用のお金を握り出ていった。何かと思ったら、タコスを買って戻ってきた。知り合いの運転手とすれ違うと、バスを止めて話していることもある。しかし乗客は、文句の一言もない。メキシコの友達に聞いてみたところ、「皆リラックスしているから、問題ない」との返答。きっと皆、自分の時間を生きたいように生きているのだ。時刻表もない、愉快で気まぐれなバス。もちろん、きっちり振る舞うのも仕事だが、これはまた「人間らしい」姿なのかもしれない。

 また50分待っても目的のバスが来なかった。何度目だろうかと思いながらも、冷静にUber(配車アプリ。こちらもグアダラハラでよく使われる)を起動できるくらいには耐性がついた。リラックスが大切だ。【大沼歩実】

▲基本吊り革はない。この手すりに両手で掴まっていないと、倒れる。

▲大学前の大通りで、バスを待つ。

▲あまり機能していないバス停。シンプルイズベスト。