それはエネルギーだった。最後の力を振り絞り、死という運命から逃れようとするエネルギーだ。その小さな体のどこにそんなパワーを秘めていたのか。
ただ、向こうが暴れるならこちらも全力で挑むしかない。相手のエネルギーが尽きるまで、僕は体全体を使って覆いかぶさるようにしがみついた。首の切られた鶏に。
牧場内にいる動物たちはいくつかの部類に分けられる。つまり、趣味で飼われているもの、売る用のもの、そして食料として育てられているものだ。そして動物が食料になるには殺されなければならない。
ロープで逆さにぶら下げられたチキンの首をじょりじょりとナイフで切る。切り離された頭はあっという間に犬猫たちに食われていく。司令塔を失っても体は動く。大きく広げた翼を渾身の力で羽ばたかせる。これがロープを吊してある木に当たると変色してしまうため、冒頭の様に彼らの胴体を掴まなければならないのだ。
初めて彼らを殺した日のディナーは唐揚げのような料理だった。そう、自らの手で殺めた鶏が、2時間後には自分の胃の中にいる。新鮮なチキンはそれはそれは絶品だった。ただ美味しさだけではない、不思議な感覚も抱いた。温かいという言葉が一番近いだろうか。
もしかすると、口にしていたのは鶏ではなかったのかもしれない。チキンに宿ったエネルギーを食べていたのだ。エネルギーはその母体が死んでもなお、その身体中に染みわたっていたのだ。そして、今、それは次の母体の中に入っていく。きっとしばらくしたら、また次の殻を見つけるのだろう。
こうしてカウボーイを名乗るはずだった僕は、チキンキラーの異名を手にしたのだった。
(写真)これがこうしてこうなった。