11月1日、リメンバーミーの舞台の一つ、ミチョアカン州へ向かった。グアダラハラからは、バスで5時間ほどだ。大聖堂のあるサモラ、綺麗な湖のあるカメクアロ国立公園などを訪れた。とにかく、どこも屋台や人で賑わっている。死者の日は、メキシコ全体で盛り上がる。この日のための色とりどりの飾りは、見ているだけでわくわくする。
ピラミッドで有名なツィンツンツァンでは、広場の近くに墓地があり訪れる機会があった。すでに12時を回っていたが、人と音楽で溢れかえり、まだ活気に満ちていた。真っ暗闇の中、無数のろうそくの光に優しく照らされるお墓。死者の魂を導くマリーゴールドの花も、穏やかに浮かび上がる。それぞれのお墓が、それぞれの飾りで生き生きとしていた。牛乳、靴などといった個性豊かな品々があるのは、生前に好きであったものを供える風習ゆえだ。特に、あるお墓に目が留まった。中央にある写真には、自転車とともに嬉しそうにしている男性。その後ろに、マリーゴールドと段ボールでできた手作りの大きな自転車が飾られていた。自転車が大好きだったのだろう。映画の中で、死者の国での本当の死が訪れるシーンを思い出した。現実世界でその人を覚えている人がいなくなると消えてしまうという、悲しい描写だった。ここでは、この男性を思う家族の存在が強く感じられた。これを見たらきっと笑顔になるだろうと思い、心が温かくなった。
もう生きた姿で会うことはできないが、まだ共に「生きて」いる。家族という強い絆がそれを可能にする。そのため、こうして迎えるのだ。これまで日本で生きてきて、生が終わる「死」は、悲しみを残す暗いものだと思っていた。しかし、朝まで踊り明かすような盛り上がりで、色鮮やかに迎えられる慣習がここにはある。そんな文化に触れ、メキシコの伝統や生活に根差す前向きな死生観を見た。たくさんある文化、捉え方のうちの一つではあるが、そのたった一つで、死へのイメージが変わるきっかけになる。家族と会いたくなる夜だった。
友達のおばあさんの話が忘れられない。彼女は、かつて死者の日を信じていなかったらしい。しかしある年の死者の日、夜に音がするので見に行くと、今は亡き家族が祭壇の前で集まって食べながら話していたそうだ。それ以降、家族での死者の日のイベントに参加するようになったと話してくれた。本当にやってくるなんて、驚きだ。そのための死者の日だからこそ、そんな不思議も引き寄せる。【大沼歩実】