友人にチョコチップクッキーをもらって、そのサクサク感に驚いた。というのも、私は小さな頃から、クッキーにはサクサクであってほしいと願っている。これを適えるものは日本でも多くはないため、メキシコで出会えたことにびっくりした。すぐさま伝えたくなった。しかし、サクサクというスペイン語を知らなかった。知っている語彙だけで伝えてみると、「crujiente、いいよね。私も好き」との返答。辞書で調べると、形容詞crujienteの欄にはまさに「サクサクした」という意味が載っていた。日本から見てほぼ地球の裏側に位置するメキシコ、そこに住む友人。そして日本からやってきた私。当然生活や文化などが異なる両者の間で、crujienteという語によって頭の中に全く同じイメージが浮かんだ。何だか嬉しかった。
もちろん、日頃から会話は成立しているから、伝達はできている。私が昔から常々思っていたことが的確に伝わったことに喜びを感じたのだ。思えば、言語自体もそうだ。全く異なる環境下で、基本どの言語にも対応する言葉があることは、すごいことなのかもしれない。ありがとうはThank youであり、またGraciasであり、他にも無数のありがとうがある。እግዜር ይስጥልኝ。ευχαριστώ。どこにでも感謝の概念があるのだ。意味がわかっているからこそ他言語でも伝えられる。言語は手段、と言われる意味がわかってきたような気がする。人間が考える様式は基本的に同じで、それを伝えるという目的のために、相手も自分も共通に認識できる言語を使うのだ。
今、メキシコでの共通言語を勉強する身として、日々発見がある。例えば、"Qué te vaya bien"という表現がある。これは「君にとってうまく行きますように」というような意味で、基本は別れの時などによく使われる。しかし、お店でお釣りを受け取ってありがとうと言うと、こう返されるのだ。もしかしたら、日本語でいう「ありがとうございました」や「またのご来店お待ちしております」のように、定型的に使われているのかもしれない。でも、私にとっては、やはり不思議だ。ただお店で買い物をしただけなのに、表面上そんな素敵な言葉をかけられるのだ。とはいうもののいつも嬉しくなって、ご機嫌になる。そんな違いを楽しめるのは、日本語話者の私が、スペイン語を学んでいるからなのだろう。もし他言語話者だったら、また私が他言語を学んだら、もっとたくさん感じることがあるはずだ。
伝えるための言語。そこには、ネイティブにしかわからないような感覚もある。だからこそ、実際にスペイン語が話される地で生活していて、その実態を知れば知るほど楽しくなる。言語って、おもしろい。【大沼歩実】
▲中南米に広く展開している、メキシコのBIMBOという食品会社のトラック。パンといえばBIMBOというくらいあふれている。ositoと呼ばれる白いクマのキャラクターがとても可愛らしい。"Pan Blanco Gusta y nutre"はそのまま訳すと「白いパン。食べてみて、そして栄養を取って」。訳すのも、違いがあるから難しい。