10月31日、世界遺産の国立公園・バンフに到着した。ただ今回はハイキングをしに来たわけではない。カナダ生活最後の数カ月をここで過ごすことに決めたのだ。
実は父方の叔父がバンフに住んでいる。日本では1回しか会った事はなかったが、こっちに来てから何度も会うことができた。彼がカナダに来てから20年が経ち、今では市民権も取得しているため日本に帰ると外国人だ。
そんな彼にカルガリーからバンフに連れてきてもらった。滞在先は彼が働いている会社の寮を貸してもらえることになった(3階建てのこのアコモ、なんと誰も住んでおらず豪邸で1人暮らしすることに)。
バンフに着いたのは10月の最終日、つまりハロウィンの日だ。毎年豪華な装飾を施す住宅街があると言うので叔父に連れて行ってもらった。カナダのハロウィンがどんなものなのか興味があった。
こっちにいても日本のニュースはチェックする。この時期目が飛び出る程驚いたのがハロウィンのニュースだ。渋谷で軽トラックが転がされたというではないか。
元々人混みが嫌いなので、毎年自然発生するコスプレパレードに参加したことはなった。1ミリたりとも行きたいと思ったことはなかったのかと問われれば、目が泳いでしまいそうだが、毎年エスカレートするその様を見てその気持ちもどんどん薄れていった。
そもそもいつから日本のハロウィンはこのような形に落ち着いたのだろうか(決してそのもの自体は落ち着いてはいないのだが)。僕が小学生だった時は、学校にお菓子を持って来てもその日だけは許される、といった暗黙の了解があるバレンタインデー並みに可愛らしいイベントだった気がする。それが今や、公共の空間で飲めや、踊れや、狂えやのパーティータイムだ。起源であるアイルランド、そしてアメリカとも違う形で日本のハロウィンは独自の進化を遂げていた。
一方バンフのハロウィンはというと、とても静かなものだった。子どもの頃に聞いたり、映画で観たりしてイメージしていたハロウィンそのものだった。子どもたちは思い思いの衣装に身を包み近所の家を練り歩く。大人たちはそれを出迎える。バンフという人口7000人ほどの小さな街だからかもしれないが、コミュニティ内に住む皆をお互いが知っているから感じられる安心感がそこには溢れていた。 【染谷祐希】
(写真)これぞハロウィン!といういかにもなお家たち。こんな家が何軒もあった。