6月のはじめ、なにげなく旅行会社のパンフレットを手に取った。新緑が美しい山々に、夕焼けに染まる海。目に飛び込んできた色鮮やかな写真の隣には、「秘境」の二文字があった。旅行で行く前提とはいえ、紹介されている場所はどこも遠く感じた。
そんなある日、家族が和室の畳替えをした。新しい畳の香りに誘われるまま、和室にそっと足を踏み入れる。久しぶりに入った和室は、土壁と畳の香りで外界から切り離された、不思議な空間に思えた。
「秘境」の多くは、誰も行ったことのないような、神秘的で自然に溢れた場所だ。しかし、どこか遠く離れたところにある大自然まで足を運ばなくとも、秘境だと思える場所は至るところに、すぐ近くにもあるかもしれない。家の和室は、確かに私しか知らない秘境だ。
夏休みに入った。和室で涼みながら、パンフレットのページをめくる。今いる若草色の秘境から、ここに紹介されている秘境へ旅をしてみようか。その二文字に、距離は重要ではなくなっていた。