旅はいつも楽しい。目的地を決めて、荷物をつめて、さあ向かおう。ただし、ガイドブックは必要ない。リュックの中に入っているのは酸素ボンベ、替えの下着、ヘッドライト...それが登山という旅である。私が中学1年生の頃の両親のやりとりが発端であった。「死ぬまでに富士山は登りたいよな!」「そうだね!」楽観的な考えをすぐに実行してしまう茂圭と恵子の間に生まれた宿命として、私は気づけば富士登山に向かうツアーバスに乗っていた。 まだ13歳であった私も覚悟して挑んだが、富士山頂という目的地までは想像以上に厳しい道のりだった。原因は、高山病である。酸素ボンベを使っても、水分を摂っても、休んでも治らない。吐いても吐いても高山病からは逃れられない。力も出ない状態で、頂上まで歩くか、下山をするか、どちらにしても歩みを止めることはできなかった。その時に初めて旅の安全性について考えた。目的地まで辿り着くこと、無事に家に帰ることを当たり前として今まで旅をしていた自分に気づいた。私は登山という経験であったが、観光業が発達する以前の、いのちをかけて「旅」をしていた人々に似た経験ができていたのかもしれない。旅の始まりはそうであったはずだ。集落や村、町、県を離れること、国境をまたぐこと、移動には必ず危険が伴っていた。 旅は楽しいだけとは限らない。体を酷使し、危険を冒し、つらいものもある。そんな旅体験ができる場所が日本には沢山ある。しかも海外に訪れるより安価で、手軽である。つらく、苦しい上にお土産も買えない旅にでてみるのはどうだろうか。きっと、頂上からお土産では買えない眺めが見渡せるはずだ。