テキーラ

 “Jalisco es México”というのが、ハリスコ州(グアダラハラはハリスコ州都)が掲げる観光スローガンだ。「ハリスコはメキシコ」という意味で、メキシコらしいものはここに集まっていると謳う。その大胆さに、ハリスコ州の自信が覗く。

 その代表格が、テキーラである。グアダラハラの北西、車で1時間ほどの小さな市で、その景観は世界遺産にも登録されている。お酒テキーラの名は原産地呼称制度によるものなのだ。道中、原料であるリュウゼツランagabeが果てしなく広がる。お土産屋には何十種類ものテキーラがずらりと並ぶ。あるテキーラブランドの専用ツアーに参加した。リュウゼツランの畑に向かい、プロの方が植え方や収穫方法を見せてくれた。工場では、出来立てを試飲しながら製造工程を見学した。テキーラを満遍なく知ることができる、濃い内容だった。

 愉快なガイドさんのテキーラジョークで皆が笑う。そこにテキーラを真面目に語る人はいなかった。度数が高いことで有名だが、酔うためではなく楽しむために飲むものだと誰かが言っていた。いつでも楽しむ気概のメキシコ人のそばにある、代名詞ようなもの。テキーラは笑いを味方にする。

 その後、テキーラ専用のバルに行った。昼間からバンドの演奏とともにどんちゃん騒ぎ。時間がゆっくりと流れる、違う世界に来たみたいだ。テキーラは何でも可能にしてしまう。

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立ち向かう

 雨季の前、この時期に毎年グアダラハラで起こるもの。森の火事だ。常に晴れ渡るグアダラハラの空が、一面白い煙に覆われる。消火に1日かかるような大規模の火事が、今年はすでに2回も起きている。汚染警告が出て、付近の学校は休校になるほど。そこに何か建設しようと、お金目当ての人々が火を付ける。

 森を広めるため、広げるために活動するあるボランティア団体に参加した。水が必要な木のためにペットボトルで装置を作り、バケツリレーでトラックが進めない奥まで水を運ぶ。コーヒーのかすを砂糖と混ぜて窒素を作り、撒く。雨季には木を植える。専門家とともに活動する彼らは、木が独り立ちできるようになるまで自然な方法で手伝いをする。

 育つまでの長い時間と反対に、木が燃えるのはほんの一瞬だ。団体の活動拠点となる森でも、マツの木がたくさん燃やされてしまった。前まで確かに元気で、涼む絶好の場だった。木は真っ黒になり、葉は焼けてしまった。集中的に作業すると、数週間後には緑色の新芽が出た。悲しみが大きかった分、喜びもそれだけ大きい。

 都市開発やがん発症率の高さ、水の使用などさまざまな問題を抱えるグアダラハラでは、森が必要なのだ。そんな大切な森を守る団体は「木を一本燃やされたら、十本植える」と教えてくれた。木も彼らも強いから、悪になんて負けない。

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飲食

 メキシコ料理はおいしい。中でもタコスとコーラの組み合わせは最高だ。ただ、カロリーが高いことが難点である。メキシコ料理にトウモロコシの粉masaは欠かせないけれど、形成するためにラードが使われている。それをさらに揚げてあるものもあり、油の存在が強い。代表的なメキシコ料理ばかり食べているから、最近全く野菜を食べていない。大根の煮物が恋しい。

 食品のパッケージには、わかりやすいカロリー表示が義務付けられている。嫌でも目に入るから、初めてカロリーというものを気にするようになった。公園には、遊具のほかに体を鍛えるための器具がずらりと並ぶ。毎週日曜は各地の大通りが、サイクリングやランニングをする人のために開かれる。それでも、3人に1人は肥満という実情だ。

 それ以上に「表示のない」食事が多い。あまりに手軽な外食の舞台である屋台やレストランでは、カロリーを教えてくれない。メーカーのトルティージャの袋にはカロリー表示があるけれど、それよりも広く流通している手作り店のものにはない。友達によると、メキシコ人は生後6か月頃からタコスを食べ始め、歯のないおじいさんもまだ食べ続けているという。容易には変えられない生活スタイルそのものが、根源なのかもしれない。

 私のお気に入りのひとつ、ハマイカjamaicaという真っ赤のハイビスカスの手作りジュース(なぜかジャマイカという)。コーラと同じくらい定番の飲み物である。ほかには、オルチャータhorchataやタマリンドtamarindoが代表的な味だ。砂糖がたっぷり入っていて甘いのに、これらをアグアagua(水)と呼ぶ。水で作ったジュースだから、水なのだ。メキシコではタピオカではなく、日常的にこのアグアを片手に歩く。水だから、カロリーなんて気にならない。 【大沼歩実】

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自由な

 ルチャリブレlucha libreを観に行った。いわゆるメキシコのプロレスだ。メキシコシティが聖地とされているが、グアダラハラでもArena Coliseoというアリーナで毎週日曜と火曜に行われている。基本は1ラウンドに3人対3人で、数ラウンド行われた。正義と悪が戦うということで、必ず正義が勝つようになっている。見せ場がいくつもあり、エンターテインメントとしての戦いを見た。ピンチもあるが最後には正義側が勝ち、大盛況の中終わった。

 プロレスというものを、初めて観た。ある程度つくられているとはいえ、凄まじい戦いがあった。リングに打ち付けられるときの音が鈍い。1ラウンドが団体戦のようなものだから、数人がかりで蹴ったり叩いたりすることもできる。一撃を見舞われリングの外ににはじかれたあと、息を整えている姿が、リアルで痛ましい。何度も目をつぶってしまった。

 会場は、groseríaという「品のない言葉」が飛び交いブーイングで盛り上がる。大人から小学生くらいの子供まで、中指を立てて熱狂していた。ブーイング用の笛も売っていて、あちこちで鳴る。日々の鬱憤を晴らす場としても機能しているらしい。ルチャドール(スペイン語でレスラーの意)がリングから退場するときは、子供達が集まりサインや写真を求める。小さな男の子が、あるルチャドールと同じマスクをかぶって一緒に写真を撮っていて、微笑ましかった。マスクを被るのはメキシコならでは。キャラクターとなり、知らない者、つまり征服者と戦って勝つという図式になっているそうだ。「克服」は、文化に根付く国民性なのだ。マスクやルチャドールの役割、全てを派手に行えるアリーナまでもが人々を魅了する。私が知らなかった、メキシコが愛するルチャリブレがあった。

 会場を出ると、人が集まっている。関係者出口の近くで出待ちをしていた。ここでも写真を撮ったりサインを書いたりしてもらえる。一番怖い顔だと思っていた悪のルチャドールが、私達に気付いて「ありがとう」と日本語で言って握手をしてくれた。来週も出るからぜひ来てね、とも言ってくれた。白いカラコンをつけた恐ろしい形相とは正反対の、優しい男の人だった。つい先程、リング上で激しく戦っていたルチャドールと交流できた。ここでも自由なメキシコだ。「メキシコのルチャ・リブレ」のおもしろさに触れた。

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遺産

 前学期、「メキシコの遺産管理」の授業を受けた。初めに、UNESCOが公式に出している文書を読み、遺産とは何かを知った。また数あるメキシコの遺産について課題で先取りし、授業で深めていった。メキシコでは、INAH(Instituto Nacional Antropología e Historia)という機関が国内の芸術を広く管理している。詳しい解説が載っているINAHのホームページや、論文などを参照した。先住民のメキシコ文化に、スペイン人がやってきたことで様式が持ち込まれる。やがて政治の影響を濃く受けるようになり、今に至る。人類の歴史なしには成り立たない芸術の変遷を学んだ。

 最終課題は、遺産に実際に行って研究するというものだった。私に与えられたテーマは、オスピシオ・カバーニャスHospicio Cabañas。1997年に世界遺産に登録された新古典主義建築の施設だ。グアダラハラの中心にあり、今では文化協会管轄下で、美術館や文化施設として開かれている。情報を集めるべく図書館に通い、オスピシオにも通った。

 18世紀、スペインの司教カバーニャスが統治下のグアダラハラにやってきた際に、侵略によって貧しい人がいることに心を痛める。そんな人々を受け入れることのできる施設を作ることにした。彼の熱意はとても大きく、その精神が受け継がれていく。兵舎となる等の危機を乗り越え、最終的には文化を伝えるための施設として政府に保護された。やがてメキシコを代表する画家オロスコにより壁画が描かれ、その名声はさらに広まることになる。

 学芸員にインタビューをして、管理の現状を知った。オスピシオの前には大きな広場があるが、これはその荘厳さが一目でわかるようにと設置されたこと。以前は内部に駐車場があったりコンサートが開かれたりと騒音がひどかったが、世界遺産の登録後は解消されたこと。長く勤めているからこその話は興味深かった。建物の中心にある壁画の下に立ったとき、感動がこみ上げた。長い歴史を経てオスピシオが現存していて、私がここに立っている。奇跡のようなこの瞬間を、全ての始まりであるカバーニャスに会って伝えたいとさえ思った。

 世界遺産のことをスペイン語で、Patrimonio de la Humanidad(人類の遺産)という。世界の、ではなく人類の、というのが肝心だ。今回、自分の手で調べ上げてみて、その意味するところがわかったような気がする。しかしきっと、世界遺産だけではない。遺産というものは無数に存在していて、それぞれの大切な歴史や使命がある。遺産とは、人類の歩んできた証そのものであり、それを守り伝えていけるのも人類しかいない。全てが「人類の遺産」なのだと、気付かされた。

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